食のプロ・コラム

東日本大震災・被災地支援レポート 吉田菊次郎

  • 2011年05月26日
  • 日本フードコーディネーター協会

   
㈱ブールミッシュ  代表取締役
日本フードコーディネーター協会
常任理事   吉田菊次郎
 

 


東日本大震災・被災地支援レポート
 
 

 
 
先ずは、3月11日の東日本大震災で被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 さて、それから数日後、懇意にさせていただいている大使館関係者を通して、農林水産省から被災地にお菓子を届けることができないかとのご連絡を頂いた。
同省いわく、すぐに手当てすべきはおにぎりやパン、飲料水。
そして、長期戦を見越しての缶詰及びレトルト食品。
すなわち、調理を必要としない食料品の調達。
続いて、阪神淡路大震災の例にならえば、一段落した時に人は癒しを求めて欲してくるのが甘い物とか。
被害の大きさが分かるにつれ、自分たちの職業を通じて何ができるかと、ちょうど思っていた矢先ゆえ、即座に快諾。
国家の一大事なればと、会社をあげて支援体制を整えた。
鉄道はさておき、東北自動車道の通行が確認できた3月20日過ぎに仙台地区と郡山に赴き、支援活動を開始した。
同業者からこんな痛々しい話を聞いた。
「今、知り合いの葬儀から帰ってきたんだが、参ったよ。津波だーってんで一度逃げたんだが、何を思ったか家ん中に物を取りに戻って、そのまんま波に飲まれてさあ。上がった遺体のポケットからたくさんの乾電池が出てきたんだって。いろんなこと考えたんだろうねぇ。とっさにさあ・・・・・」
言葉を失う。


4月5日

農水省と現地対策本部の要請を受け、トラック一杯に積んだお菓子とともに、宮城県の女川第二小学校避難所に向かう。
福島を右にするあたりからとたんに道路が荒れだす。
応急処置を施したとは言え、随所で車が飛び上がる。
仙台を抜けて女川に近づくや被害のすさまじさに思わず血の気が引いてくる。
写真に残る広島や長崎のこれもかくやの光景だ。
ガレキをよけつつ着いた小学校には、2,500人が避難しているという。
いきなり長蛇の列が目に入る。
この間までしかるべき立場にいたんだろう人や品の良さそうなご婦人も、みなヨレヨレの衣服で、そのはるか先で配る一杯の雑炊に並ぶ。
突如身なし子になったという子供たちが無邪気を装って遊んでいる。
たくさんの人がいる今は気も紛れるようが、いずれ皆それぞれの場を見つけて散って、ひとりとなった時、何を思うか。
この先の子供たちの人生を思うと心が塞ぐ。
物資搬入場所となっている体育館に車をつけ、手続きを終えるや自衛隊員が駆け寄る。
お菓子である旨を告げると、パッと一列横隊となり手際よく荷を手渡して所定の場所に積み上げていく。
学校から一段下がって広がる被災地では、何人もの人が自衛隊員に混じり、しきりに何かを探している。
まだ見つからない身内の捜索という。
帰路、仙台市役所内の災害対策本部にご報告に伺う。
「いやあ、あそこまで行ってくださったんですかぁ。で、どんなでした?たいへんだったでしょう」と逆にこちらが聞かれる始末。
対策に追われ、職員のほとんどが視察にも行けていないという。
それほどまでにやるべきことが多いのだ。


4月16日
今度は石巻の万石浦中学校の避難所に向かった。
近づくにつれ異臭が鼻をつく。
被災後1ヶ月も経つと、今だ見つからぬご遺体や犬猫等のペット類に加えて、打ち上げられた大量の魚の腐乱臭にお手洗臭が混ざり、表現のしようのない臭いとなっている。
それでも三分もすると慣れてくる。
人とはどんな状況でもしかるべく順応していくものだ。
ようやくたどり着き、段ボールを運び込むや、
「えっこれお菓子ですか?開けてもいいですか?」
「あっホント、お菓子だー。食べてもいいですかぁ」
「どうぞ、どうぞ、そのためにお持ちしたんですから。」
係の人たちもその場で袋を開けてマドレーヌを口にほおばる。
「いやぁ、当初はゆで卵1個を5人で分けたりしてたもんで・・・」
どうやって分けたのか。
あらかじめ少し余分に持ってきたものを一箱余計に置いてきた。
こんなことなら、もっと積めるだけ積んできたらよかったものをと悔やまれることしきり。
続いて指定された東松島の矢本学校給食センターへ。
ここから分散している各避難所に物資を届けている由。
ここでも自衛隊員が揃って手を貸してくれた。
非常時にあって何と力強い存在と、思わず手を合わせたくなる。

 

 4月17日
宮城からとんぼ帰りでこの日は福島へのオファーが入っている。
かつてのクラスメイトの代議士と同県出身の代議士の要請及び農水省の指示で福島県楢葉町の人たちの避難所となっている会津美里町のすでに廃校となって久しい旧藤川小学校に赴く。
表現の不適切さをお許し頂きたいが、このような辺鄙と思えるところにも、やはりひっそりと多数の方が身を寄せ合っているのだ。
すれ違いになってしまったが、この直前に依頼を受けた議員さんもいらしていた由。
先生方も必死になって飛び回っているようだ。
「お菓子だってさあ!」の声に廃校の中が一瞬明るくなった。
一片のお菓子の持つ力の大きさに改めて驚く。
続いて常磐自動車道を突っ走り、いわき市に向かう。
同市が近づくにつれ車が減っていく。
「社長、すいてますねぇ。スイスイです。」ドライバー君が言う。
「おい、向かう車、一台もないぞ。オレたちだけだぞ。」
そう、誰も同市に入っていかないのだ。
そして街に入る。
人っ子ひとりいない。
たまたま昼下がりでそうだったかもしれないが、それにしても妙な雰囲気だ。
不遜を許して頂けるなら、マカロニウエスタンの決闘の場面を思わせる様子といえだお分かりいただけようか。
そんな街中の中央台南小学校に着く。
そこにもまた多くの人が静かに身を寄せている。
丁重なごあいさつを受けるが、かえってこちらが恐縮してしまう。
こちらが示すべき思いやりをあちらが示してくれるのだ。
さらに同市内の支援物資集配センターとなっている、平競輪場に車を向ける。
巨大な超近代的な建物の大きく張り出したひさしの下が、宅配便の集荷場のようになっており、そこに各所から届いた段ボールが山積みとなっている。
一見、膨大に見えるこの物量だが、一瞬して難民となってしまった30万人の人たちに対し、1人あたりいくつのものが行き渡るのか。
衣類はまだしも、口に入るものは日々どんどんなくなっていくのだ。
本当にこれで足りるのか。
思うほどに心もとなくなってくる。
ただ、それでもたとえ一瞬でもその人たちになごみと癒しを与えることができたとしたら、それこそがお菓子の持つ本来の使命といえはしまいか。
今さらながら、お菓子を含めたフード産業の責任の重さに身の引き締まる思いがする。
最後にさる避難所から届いたお便りを掲載させていただき、レポートを締めくくらせて頂く。

 

 

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